数ある松阪牛の肥育農家の中でも、最もよく名の知られた名前は永田功一氏です。
生涯に渡り、共進会でなんと10回も最優秀賞を獲得し、「松阪肉牛生産者の会」の代表を努めた永田さんが、公の場に姿を見せたのは平成八年十一月の松阪肉牛共進会が最後でした。
何よりも牛が好きで、牛を育てることは仕事でもあり趣味だったと、妻の三枝子さんは話します。
永田さんの四十年余りの肥育歴では、役牛の飼育から始めて、平成元年には七十八頭を数えるまでに経営規模を大きく拡大しました。
牛の世話には決して手を抜くことはなく、人間が風呂に入るのと同様に、牛たちがゆっくりと休めるよう敷きわらはこまめに交換していたといいます。
さすが!良いcareをされている牛は違いますね
暖かい日には牛たちに日光浴をさせ、丹念に体をブラシですき、夏の夜に気温が下がったときにはすぐさま牛舎の扇風機を止めに走っていったとのこと。
そんな風に、手間を惜しまずに愛情を込めて丹念に牛たちを育てた努力が実を結び、平成元年に共進会で優秀賞一席を獲得した「よし号」が、予想を大幅に上回る四千九百五十二万円という空前の高値がつけられ、永田さんは一躍“時の人”となったのです。
平成八年十月、突然の病に倒れ入院し、それでも手術を早めてまで共進会に参加したそうです。
病床で、永田さんは松阪牛と生きた日々を振り返り「好きなことをした」と満足げに話していた、といいます。
現在でも、永田牧場では妻の三枝子さんとともに長男の憲明さんが跡を継ぎ、すぐれた松阪牛を世に送り出し続けています。