手塩にかけて、惜しみなく愛情を注ぎ育てた牛を、食肉として手放すときの肥育農家の心情とはいったいどんなものでしょうか。
松阪市内のある肥育農家は、牛舎から牛を送り出すたび。
牛を運ぶトラックが見えなくなるまで見送るといいます。やはり、三年間という歳月を毎日休むことなく世話し続けたのだから、もともと食肉用として育てていたとはいっても手放すときにはやはり複雑な気持ちが残るとのことです。
けれども、食肉処理された牛を見て肉質を研究するときの思いはまた別で、自信が手がけた牛が解体されたときには見学に出向くといいます。
かわいがって育てた牛も、解体されると不思議とそれは商品に見えてきて、どうすればより良い肉が作れるかということばかりが頭の中を駆け巡るそうです。
出荷直前の牛を目の前に、良い牛に育てた、などと肥育農家たちは話し込みます。その他愛のない会話の裏には、牛をいたわる思いが隠されているのでしょう。
牛を手放す瞬間とはどんな気持ちなのでしょうか?
長い年月をかけて育てた牛を手放すということは、やはり手放しで喜べるものではないようだ。
経済動物だとは言っても、割り切れない思いをもつ肥育農家は多くいるようです。そんなつらい思いの一方で、肥育農家として誇らしげな気持ちを抱けることもあります。
それは、競りで高値がついたとき。
居合わせたほかの産地の農家は、口をそろえて「やはり、松阪牛にはかなわない」と言ってくれるそうです。良い環境で、手塩にかけて育てるからこそ、素晴らしい牛肉が仕上がるのです。
農家がさまざまな思いを込めて送り出される松阪牛は、解体されて高級牛肉「松阪牛」のブランドを背負って、料理店や食卓に並びます。