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明治時代にも松坂牛はブランド牛でした


松阪の牛は、明治時代には既に東京へ輸送されて食肉用として取引されていました。

 

当時、外国文化の影響で肉消費が盛んだった東京では、牛肉が品薄となっていました。

それを知った松阪の庄屋、山路徳三郎は明治十年、37歳のときに肉牛を徒歩で東京へ運びこむことをはじめました。地元の青年たちを雇い、肉牛を引き連れる東京への旅。これが、「牛追い道中」と呼ばれるものです。

徳三郎が道中に記していた日記を孫がまとめた「東海道牛追い道中記」によると、この道中は年に数回行われ、通算十数年続けられていたそうです。

例えば、正月用の肉牛を運んだ明治十年十一月の道中は、片道二十日がかりでようやく東京に到達するという長い旅路だったようです。

徳三郎は人を使って県内をはじめ、愛知県などの農家とも取引をしていました。

松阪を出発する先発隊に十数頭、第二・第三隊が各五十~六十頭という大掛かりな陣容で牛を運んだといいます。

道中に出るにあたり、東京の商人と運ぶ牛の頭数などを打ち合わせて農家ぁら必要分の牛を調達しました。

そして、東京入りしたあとに代金を清算したそうです。

当時は天候などにも輸送にかかる期間は大きく左右され、増水で川が渡れずに12日間も足止めを食うなどという苦労も道中にはあったそうです。

また徳三郎は、牛の出荷後の農家に素牛を補充するなどの算段も手はずよく整えていたそうです。

貨車輸送の発達、そして東京周辺での肉牛生産の増加にともない、徳三郎の牛追い道中は次第に縮小に向かい、十数年後には姿を消しました。

その後は小規模の牛の出荷にあたり、また自身も牛を飼い獣医の腕を生かして晩年まで牛とともに生きたと言われています。

 

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